私がノマドになるまでの軌跡|過去〜現在、今後の展望を綴ってみた

その他

今回は「私がノマドになるまでの軌跡」というタイトルで、これまでの話と、今後の展望を少し綴ってみようと思います。

というのも、最近は「普段何してるの?」とか「どんな歴史で今の生活に至ったの?」という声を頂きます。

まだまだロールモデルになれるような身分ではありませんが、何か生き方に興味を持ってくださる方に対して、考えを共有できたらなと思います。

もえこ
もえこ

それでは、ちょっと長めの文章ですが、よければ気楽にお付き合いください!

簡単な経歴は、以下の記事に書いています↓

過去の自分

私は元々海外志向があった訳でも、「留学」や「ワーホリ」に行った経験がある訳でもありません。

この間久しぶりに会った友人からも

「元々海外出る!とかいう感じじゃなかったから、驚いた」

と言われ、確かにそうだなと思っていました。

「海外」と言えば、

  • 国際・インターナショナル系
  • 英語・外国語系
  • 文化人類学系

のような学部卒だったり、留学やワーホリに行っていて、明るくキラキラした人が多い印象を抱く気がします。(個人的偏見ですみません!)

一方私は、昔から「海外」とは無縁でした。

元々食や健康に興味があったので、大学は「栄養学科」を選択。

管理栄養士国家資格取得に向けた、厳しい専攻でした。

正直、古風で硬い考えを持つ人が多く、「グローバル」「多様性」「柔軟性」といったワードは、どちらかというと真逆。

家計はお金にすごく余裕がある訳ではなく、奨学金で何とか通わせて貰っていました。

家族で「海外旅行」に行ったこともなければ、留学にも行くことが出来ず、私にとって海外は「憧れ」の世界でした。

そんな私に何があり、どうやって今の生活に行き着いたのかを綴っていきます。

初海外での経験

大学生になり、アルバイト&節約をして、初めて海外に行きました。

その、初めての海外渡航先が「タイ」でした!

タイ

初めてタイに降り立った時の、熱風と異世界感は今でも忘れられません。

飛び交う謎の言語や、絶品すぎるご飯、至福のマッサージ、、、

初めてのタイでの経験は、人生の中で強く印象的な経験となります。

台湾

アジアのローカル感が大好きになった私が、その後行った先は「台湾」。
台湾では安くてお洒落な、今風のホステルに宿泊しました。

そして今でも忘れられないのが、台湾の九份に行った夜、ホステルのスタッフの方が「ナイトウォーク」を開催してくれた日です。

色んな国籍の計6〜7人前後が参加し、九份の夜を多言語で案内してくれました。

ほんの数十分でしたが、その時の人との交流の温かさ、なんとも言えないあの夜の雰囲気が、

「なんか、いいな!」

と胸をときめかせたのを覚えています!!

思い立ち、行動

日本帰国後、私は思い立ち、

  • 実家を出て独り立ちしたい!
  • ホステルでの経験を、日本でも実現したい!
  • あの経験を、私もゲストの方に提供したい!

と、すぐにGoogleで検索したところ、数少ない募集の中から「フリーアコモデーション(フリアコ)」という仕事を見つけました。確か『ヤドグラシ』というサイトだったと思います。

都内のお洒落なホステル* でお手伝いをすると、家賃無料で宿泊できるという内容でした。

*ホステル:ゲストハウスより大規模、ホテルよりは小規模な宿。キッチンやバスルームは共同が多く、ゲスト同士の関わりやセルフサービスの多いCo-Livingな感じ。

「これだ!」と思った私は、即座に応募。

面接の日、とてもお洒落で温かい感じのホステルに到着。

当日面接をしてくれたお2人からは凄く良い「気」を感じました。硬くなくて、何だかベンチャーっぽくて、かっこいい!と感じたのを覚えています。

「フリアコを始めたら、何をしたい?」と聞かれ、

あの台湾での夜の経験を、今度は私が提供したいです!と全力で答えました。

(この人達のいる環境に身を置きたい!)と、ワクワクしていました。

するとなんと、その場で前向きな答えを頂くことが出来ました!その帰りは満面の笑みで、スキップをして帰ったのを覚えています(笑)

ホステルでの住み込み仕事開始

無給の仕事で、家賃無料。

初めての独り立ち。

大きなスーツケースに荷物を詰め込んで、当日から仕事のことを教わり始めます。

ホステルのゲストは「8〜9割」が外国人

仕事が始まった当初から、毎日が新たなゲストの方々との出会いで、毎晩がパーティーでした。

元々コミュニケーションは得意ではなかったのですが、
国籍や文化、性別、年齢の異なる、多様な人とのコミュニケーションをする中で、偏見や先入観のなさが、自分を「新たな自分」として導いてくれました

固定概念が打ち破られ、今まで「常識」や「当たり前」とされてきたことが全てではなかったことを、改めて認識します。

今までの環境下で違和感を抱いていた私にとって、解放感というか、「これだよね!!!」とスッキリした感覚がありました。

「自分の居場所を見つけた」と思いました。

日々価値観がアップデートされ、自分が変わっていく感じがしました

「ギブアンドテイク」を学ぶ

さらに、ホステルでフリアコをする中で学んだのはギブアンドテイクです。

雇用関係も「金銭」ではなく「価値」の交換だったことや、材料を持ち寄ってゲストと料理を分け合ったりした経験から、「ギブアンドテイク」の世界を学びました。

「お金」は社会経済を回すための、便宜上の通貨でしかなく、世の中の根本はギブアンドテイクで成り立っている。

立ち返れば当たり前であって、忘れがちな認識だと思います。

この学びは、仕事や人生においても大切だなと、今でも大きな教訓となっています。

次のフェーズが訪れる

日々、様々な価値観を持つ人達と会話する中で、自分の「今後の方向性」が見えてくる時が訪れました。

インターネットや本で、「海外生活」「フリーランスの生き方」「ビジネスの基礎」など、必要な情報収集を始めました。

ホステルでの清掃の仕事の時間は、必ずメモを持ち歩き、「マナブさん」のYouTube動画を何度も聴き流し、共感しては、学んだことをメモしていました。マナブさんからの学びは、かなり人生を変えてくれたと思っています。

動画編集やクラウドソーシングサイト(CrowdWorksLancersココナラ)への登録など、スキルや仕事になりそうなものに少しずつ挑戦し始めました。

現時点で自分に必要なことは、自ら立っていくための「ビジネススキル」だと考えた私は「海外に関わり、ビジネスが学べる、一石二鳥な仕事はないか…」とまた考え始めました。

検索に引っかかったのが「タイガーモブ」というサイトです。

私の大好きな東南アジアでのインターンも多く掲載されていて、「これだ!」と思いました。

そこで出会ったのが、その後お世話になることになった会社です。

インターン時代

タイガーモブ経由で開始したのは無給のインターンでしたが、

「一旦全てを捧げてビジネスを学び、海外に行く機会を作ろう!」 と決意。

無給・宿代無料のホステルに住みながら、ロビーで無給の仕事をする(コロナ禍だったのでオンラインインターンでした)という、「お金以外」で報酬をやり取りするということをダブルで行いました。

栄養学科にいた私はITの知識は皆無、ミーティングは知らない用語の嵐。でもなんかワクワクするし、この中で対等に話が出来るようになりたい。

そしてきっと対等に話が出来るようになった時には

「自分が他に提供できる価値も上がっているに違いない」

と思い、夢中になって毎日仕事をしました。

最初は右も左も分からないままでしたが、常にメモ&ググりながら、全てを吸収していきました。

恐らくこの姿勢を評価してくださり、信頼にも繋がっていったんだと思います。

また次のフェーズが訪れる

ホステルでは、英語対応のフロント業務やPOPデザインの制作などもやらせて頂いていました。

ただ、日中メインの仕事は「清掃」。

宿代は無料でも、清掃中の学びは耳に流れるYouTubeのみ。

この時間を、もっと実践的で学びのあることに使いたいと思い始めます。

そこで、フリアコの卒業を決意します!

別のホステルに移って宿代を支払いながら、丸一日インターンに捧げるという生活が始まります。

「時給労働」の概念を抜け出し、時間を学びに変えて行った時でした

それと同時に、私の「ノマド的な生き方」は始まりました

ノマド期① 国内ホステル生活

当初はちょうどコロナ禍で、東京1お洒落なホステルのドミトリーにまさかの「月3万円」で住むことができました。

コワーキングスペースも空いていて、最高の環境でした!

ここでも長期滞在メンバーと仲良くなり、一緒にご飯を食べたりしていました。

この時期は「仕事しすぎよ」「体に良くないよ」的なことを周囲からよく言われましたが、インターンでの学びが楽しすぎて、朝から晩まで1日中仕事してましたw

人とのコミュニケーションさえ、限られた時間に抑えていました。

そこからホステルを転々とし、都内から物価の安い大阪に出たりする生活をしました。

小さな種まきを始める

「収入を確保しなければ」と常に危機感にさらされていた私は、自分の少しだけ得意な領域を見つけ、「SNS投稿制作」(1枚数百円)などのサービスを売り始めました。

第一ステップの成果だったと思うのは、当時Twitter経由でご連絡し、毎日作成させていただく仕事が決まったことです。

1日1,000円でも「収益の軸」を獲得できた時は、凄く嬉しかったのを覚えています!

折角頂けたお仕事。

最初は慣れず、夜中まで作業することもありましたが、自分の好きなことで価値提供し、相手が喜んでくれることは、本当に嬉しく、楽しかったです!

ノマド期② ハワイ生活

2021年12-1月は、「ハワイ」にいました。

というのも、当時お付き合いしていた彼がハワイ人だったので、国境が開いた瞬間に10日間、その後3ヶ月間滞在しました。

「ハワイに行く!」「ハワイでも仕事ができるように!」という原動力で、頑張ってたとこはあります笑

ただ、私はまだ収入も全然だったので、お金は次日本で会う時に私が払う約束で、彼に少し多めに持ってもらいました。(将来は指数関数的に稼ぐ計画だったので笑)

コストコのサラダとチキンで極限の節制をしました!

ハワイでインターンから正社員へ

海外事業人材の育成手法手探り、コロナ往来制限で|日本経済新聞 2021年3月29日 10:33

2020年9月が卒業の時期だったのですが、「仕事」の報酬として「学び」を得ながら、そのままインターンを継続していました。

仕事が楽しく、日々の学びや新しい経験の量が凄かったので、「就職」への焦りとかは全くなく、とにかく夢中になっていました。

そこで、2021年1月、「正社員になる?」と社長から声掛けを頂きました!(ラフ!なります!笑)

ミャンマーの現地給与***ドル/月の報酬で、これまでと同じ仕事内容を、フルリモートで行うという契約でした。

日本人社員は私1人、「戦略部」というポジションを開始することになりました!

ノマド期③ 国内アドレスホッパー生活

ADDress 小田原A邸

まだ、東南アジアの国境は開かないものの、新たな場所で違う景色をみたり、経験をすることに快感を覚えた私は

「もっと色々な拠点を点々としたい!」

という思いが芽生え始めました。

「この時代、サブスクでノマドできるサービスってないのかな…」

と、出会った私にぴったりのサービスが「ADDress」でした。

当時全国200拠点住み放題だった「ADDress」を使って、半年間は都内、大阪、京都、長野、淡路島、香川など、仕事をしながら日本中をアドレスホッパーする生活をしました。

日本のことは知っている気になっていましたが、国内でも色々な空気や景色があり、「自分は何も知らなかったんだな」と感じました。

新しい人や、地域との出会いがあり、国内だけでも凄く大きな刺激がありました。

ようやくまともな収入に届く

その後、たまたまそのお仕事を頂いていた方が主催するコミュニティにご招待いただき、本当に有難いことに、ご紹介でお仕事が繋がっていきました。

そして、同時に「周囲が圧倒的に行動している環境下」に身を置き、自分の基準値が上がることにもなりました。

朝から晩まで仕事をしながら勉強したり、自己研磨で行動をした時期がありましたが、収入は数倍となり、生活に十分な額を確保することが出来るようになりました。

環境に感謝です…!泣

ノマド期④ 念願のタイ渡航!

タイの国境が少しずつ開いてくると同時に、ようやくタイのチェンマイに渡航出来る日がやってきま

毎日社長の自宅オフィスに通い、一緒に仕事をしながらビジネスの知識をアップデートしていきました。

更に、ビジネスに限らず、経営視点でのものの考え方や時間の使い方、人との付き合いや家族とのバランスなど、人間としての色々な大切なことを学ばせていただいた気がします。

こういう機会はなかなか無いので、本当に感謝だなぁと思います泣

そして、チェンマイが最高すぎることを知ります。

ノマド期⑤ 現在

こんな歴史を経て、東南アジアを旅したり、タイのチェンマイに沈没したりしながら生活しています。

これまではタイ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、カンボジア、、、と移動をしてきました。

また、現在は独立し、TONARI DESIGNという屋号でデザイン、Webマーケティング(SNSや広告運用)、事業のサポート等を行っています。日々学びだらけですが…!

ブログ記事を通じて、「東南アジアでのノマド生活」で得た経験や、役立つ情報の発信も強化しています。

今やっていることは全て「本当に好きだな」「幸せだな」と、心から思います。周囲の方々や環境に感謝して、今後一層精進しなければです!

このようにして、私はノマドになりました

正直、私は未だ大きな成果を出したり、目標に到達することは出来ていないと思っています。

何かこういった文を世に出すには早すぎて、ちょっともどかしく感じます。

これからもっと良い「ロールモデル」を目指したいことは前提ですが、時々ポジティブに思うようにしていることは、

「今の自分は、過去の自分から見ると、理想に近付いている」ということです。

そう進歩ができている要因として、いつもお金という目の前の報酬ではなく、

  • 今自分のいる場所が、目標に向いているのか
  • 今必要なものは何なのか

を、常に意識して来たかな、と思います。

今後もしっかりと成長し、多くの人に価値提供が出来ることを目指しながら、この大好きな場所で生活が出来ることに、日々感謝を忘れずに生きていきたいなと思います!

今後の展望

今後の展望は
与えられる提供価値を増やし、周囲に利益や幸せをもたらすこと
新たな生き方や価値観を提唱すること です。

まず、自分のスキルや影響力をレベルアップさせ、クライアントの方・メディアを見てくださっている方に利益や幸せをもたらすことを目指したいと思っています。

そして、最近は主に同世代や年下の方々から、将来に関する漠然とした悩みを聞くことも増えて来ました。最近は日本の多くの方が、似た悩みを抱えていると感じます。

そこで、

「メディアを通じて、旅生活や変わった経験から感じる価値観を共有できたら、何かしらの提案ができるのでは?」

と思い始めています。

自分の生き方が正しいとは思いませんが、「こんな生き方もあるのか」という選択肢が、皆さんの中に1つ増えたらいいなと思ってます。

これからも旅やノマドに役立つ情報や、旅生活から感じる価値観を共有し、固定概念」を壊していけたらと思います

最後に

新卒で、結果を出せる即戦力もまともにないまま「ベンチャー企業」に入り、「フリーランス」としても立っていくというのは、苦難の日々でもありました。

自分自身で最速で学び、相手に結果を残さなければいけない市場です。

途中から、「本当に意味のある価値提供が出来ているのか」と不安になり、葛藤する日々もありました。孤独で時間をかけて調べたり、試行錯誤したりと、もがく時期もありました。というか今でもあります!笑

大手企業で仕組みややり方を身につけてからフリーランスとして独立したり、即戦力としてベンチャー企業に行く方が良いのでは、と思ったりもしました。

ですが、そんな苦難も「楽しむこと」で乗り越えてきました。

時々、時給換算するとバイトよりも低いことがあったり、「金銭的報酬が見合わないのでは?」と思われることもあります。

ただ個人的には、仕事を「嫌なもの」だと思ったことや、「お金稼ぎの手段」だと割り切ったことが、多分あんまりありません。人生でやりたいことでなければ、いくら報酬が高くてもやらないですし、仕事も遊びも全て「ライフの一部」だと思います。

私にとって、今までやってきたことは全て「好きなこと」だからこそ、Giveが出来、それに対する信頼を頂き、今こうやって生きているんだと思います。

「旅をしながら生活したい」「好きなことを仕事にしたい」という方がもし読者の中にいたら、私からは、そんな考え方くらいは共有できるんじゃないかと思っています!

また、もし「この人と話してみたい」というレアな需要があれば、DMか何かでお気軽にご連絡いただけたらなと思います。最近は、自分にどんな社会貢献が出来るのか、日々模索しています。ここまで読んでくださった方には、人生や仕事の相談でも、インタビューや寄稿などでも、お力添え出来たらなという思いですm(_ _)m

長い文章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

こんな人ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

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